アジア・フォーカシング国際会議誕生の背景

(この記事は日本フォーカシング協会ニュースレター第19巻3号に掲載された池見陽著「アジア・フォーカシング国際会議誕生の裏話」を加筆し改定したものです。)

アジア・フォーカシング国際会議誕生の背景

 

アジア・フォーカシング国際会議誕生の背景について僕はこんなことを考え、振り返って観ている。それは個々人の意識とか力を超えたところで起こっている「時の流れ」、あるいは「時の勢い」と呼べるようなものが、僕たちを含み込んで動いている。そんな感覚だとしか表現できない。平たく言ってしまうと「機が熟した」と言えるのかもしれない。だけれど、僕たちの生を離れて「勝手に」機が熟す、というわけではないだろう。熟していくその「機」の中に、僕たちは含まれているからだ。僕たちを含んだこの「機」があるのだから、それについて振り返って観ると、僕たちは、それぞれに、その機が熟していくプロセスからストーリーを描き出すことができる。きっと、いくつものストーリーがあって、アジア・フォーカシング国際会議の誕生やそれに参加することに至った物語が描けるに違いない。それは過去を振り返ってみながら、新しく描き出されるストーリーなのだ。僕はここで、アジア・フォーカシング国際会議誕生の背景を個人的なストーリーとして描いてみることにする。

それは、もう5年も前のことだった。僕が初めて中国に行ったときのこと。徐 钧(シュー)さんや僕のワークショップに参加した人たちが僕を田子坊という上海の一郭に連れて行ってくれた。小さなカフェやアート・ギャラリーが並ぶおしゃれな街だった。

カフェに座った僕たちは、更けてゆく田子坊の夜を窓の外に眺めながら会話を楽しんでいた。英語を話す人たちが数名いた。英語でメールしたら、シューさんはすぐに英語でメールに返信してくれたから、英語がよくわかる人なのかなと勝手に想像していたが、その想像は会った瞬間に打ち破られた。訊くと、英語が話せるアシスタントのハイディーさんを通してメールのやりとりをしていたのだという。だから僕はハイディーさんを介して、彼と会話した。

もちろん、「ハイディー」という名前は通称だ。わりと多くの中国人は他の国の人たちにとって、自分たちの名前が発音しにくいことを考慮して、とおり名を使う。ハイディーは日本のアニメ「アルプスの少女ハイジ」が大好きで、「ハイディー」はそこからもらったそうだ。日本アニメのファンは中国には多い。昨年、こんなニュースが目に入った。「中国上海市中心部のショッピングセンター内に1日、スタジオジブリ公認のキャラクターグッズを専門に販売する『どんぐり共和国』がオープン、親子連れや若いカップルらが長蛇の列を作り、入店制限が行われた」(産経ニュース、2016年5月1日)。公認ではないのかもしれないが、このニュースより以前に、僕は上海市内でスタジオジブリのキャラクターグッズを販売する店の前を通ったことがあったことを思い出していた。

ハイディーに彼女の年齢を訊くと、干支で答えてきた。干支は日本も中国も一緒だ。ただ、僕の干支である「酉」は中国では「鶏」と書くそうだ。ちょっとした違いはあるものの、欧米に行ったのとは違って、同じ文化圏にいる安心感のようなものを僕は感じていた。

シューさんとの会話は日本史のことになっていった。彼はとても日本に詳しいことがわかった。途中からハイディーそっちのけで、二人でメモ帳を使って筆談した。とにかく漢字だけを使った筆談にすれば、なんとか伝わることがわかった。たとえば、僕が住んでいるコウベ、オオサカは漢字で書けば分かるけれど、発音ではわかってもらえない・だから、筆談はこんな具合だった。

「我 住 大阪」

「大阪城?」

「はい、はい、Yes」と僕は声で答えた。

「豊臣秀吉?」

おっ、詳しいね。このあと、彼は関ヶ原の合戦のことや戦国武将たちの名前をメモ帳に書いて、いつの間にか話は「豊臣vs徳川」になっていった。数年後に知ったのだが、シューさんは剣道を長年やっていて、剣術には非常に詳しい人だった。

*****

シューさんが日本に詳しい、ということもあったのだろうか。中国でフォーカシングを教えないか、という話がイギリスの Campbell Purtonから私のところに入ってきたのだった。Campbellは「日本の方が文化的に近いと彼らも言っているので…」と僕を誘ってきた。シューさんが日本文化に詳しいし、中国の人たちも日本との交流にはとても熱意があると彼は語っていた。

その数年後、僕はCampbell Purtonと上海で合流した。彼は、もう何度も上海でフォーカシングを教え、セミナー後は決まってチベットの寺院で瞑想をするのだった。一度、シューさんや李明(リ・ミン)さんが案内してくれて、中国でフォーカシングを学ぶ方々と一緒にCampbell Purton、台湾の陳姿菁(チェン)さんと僕は、蘇州に旅して佛学研究所を訪れた。ところで、台湾のチェンさんは日本語を専門とする大学教員だけあって、まったく訛りのない日本語を話す。唐の時代の白い壁に黒い瓦の建物が残る蘇州の街並みに挟まれた川を見下ろすカフェの2階で、僕たちは会話を楽しんだ。話題は蘇州から上海に戻ったあとのCampbellのチベット行きについてだった。

「飛行機でラサにいくと、高山病にかかりますよ。ラサは高度3650メートルだから、飛行機の中の方が、気圧が高いんだ。ドアが開いたら即座に酸欠になって高山病になりますよ」とシューさんが言っていた。

「私は馬で行きましたよ。一週間かけて。絶対に高山病にはなりませんよ」と李明さん。

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「あ、そうだ、チベットの寺院のトイレにはトイレットペーパーがないよ」と仏教寺院に詳しいシューさんが思い出していた。

「あ、そうだった!」と Campbellは笑っていた。

上海に戻った僕たちは、ホテルをチェックアウトする際、僕の部屋に残っていたトイレットペーパー2巻、Campbellの部屋にあったトイレットペーパー2巻をCampbellのすでに満杯のバッグに押し込んだ。僕たちはタクシーを拾って上海浦東(プドン)空港に向かった。運転手さんとは、まったく言葉が通じない。僕はメモ帳に「浦東空港、国際線一人、国内線一人」と書いて見せると、運転手さんはすぐにわかり、浦東空港に僕たちを乗せていってくれた。先に国際線ターミナルに到着し、僕が車を降りてトランクから荷物を出そうとしていると、運転手さんが血相を変えて何かを中国語でまくしたてた。へ? 意味がわからなかった。すると、彼は「国際線」と書いてある標識を指差していた。どうやら、彼はイギリス人のCampbellが国際線、僕は中国のどこかの少数民族だと勘違いしていて、僕が「国内線」に乗るものだと思い込んでいるようだった。ワタシがニホンにイキマス、と言っても絶対に通じないから、慌てて愛用のメモ帳をポケットから取り出して書き出した。

「我 日本 国際線」

「ああ」というような声を運転手さんがあげた。納得したような、していないような、不思議そうなまなざしで僕を見ていた。「どうみても君は中国人だぞ」というようなまなざしだった。そして彼は僕の荷物をトランクから出してくれて、別れの言葉らしきことを言って、運転席に乗り込んだ。車が発車した。Campbellは僕の方を振り返って手を振っていた。

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そういったいろいろな冒険がその後の僕の身に中国で起こることになるのだった。しかし、田子坊での会話のなかで、シューさんは僕が日本でどんなふうにワークショップをしているのか、ということを積極的に聞いていた。日本と一緒に何かやりたい、そんな彼の思いが、僕にははっきりと伝わってきていた。

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そのころから数年が経った。3年ほど前だろうか、シューさんからメールで、「アジアの国際フォーカシング会議」を中国でやらないか、という誘いがあった。そして、しばらくして、「現在の状況では中国では無理だ、日本で第1回を行わないか」という話になった。香港、台湾、韓国のフォーカシング関係者らと一緒に協議して、「アジア・フォーカシング国際会議」を立ち上げることにした。そして、2017年に日本で第1回、2019年に韓国で第2回、という方針が決まった。

中国のフォーカシングは、日本から「体験過程」という訳語を「輸入」するなど、日本の研究動向に敏感である。とくに、日本の大学を卒業して、日本に住んで日本の会社に勤めていた李明さん(現在、上海在住)の努力によって、日本のフォーカシング関係者の出版物が多く中国に紹介されている。英語からよりも、漢字を使う日本語から、の方が彼らには理解しやすいのかもしれない。たとえば、explict ・ implict という英語の用語を僕が漢字で「明在・暗在」とホワイトボードに書いたとたん、中国の参加者たちは「あ!そういうことだったのか」と納得の声をあげたのを覚えている。以降、中国のフォーカシング関係者たちの間では「ミンザイ・アンザイ」という表現が定着した。もちろん、僕以上に、村瀬孝雄先生の「体験過程」という experiencing に対する優れた訳語は中国にはインパクトがあった。漢字になる英語は日本語訳が中国では参考になっているようだ。だけど、カタカナとなると、どうしたものか。中国語は漢字しか使わない。「フォーカシング」「フェルトセンス」「フェルト・ミーニング」はどうする?シューさんや李明さんたちとホワイトボードの前に立っていろいろな漢字を書きながら熱烈に議論したのが懐かしい。

しかし、アジア・フォーカシング国際会議の目指すところは、フォーカシングを巡る「日中交流」や「日韓交流」、「日台交流」ばかりではない。フォーカシングの世界地図が近年大きく変わってきていることにお気づきだろうか。それはジェンドリン先生が高齢のために国際フォーカシング研究所(TIFI)の会長を引退してから起こり始めた世界的な地溝変動とも言うべきものかもしれない。フォーカシングの震源地はシカゴやニューヨークではなくなった。TIFIが主催する夏期講習やウィークロングなどの研修会をアメリカ合衆国で、あるいはニューヨークで行う必要性は、最早なくなったのである。(今年、はじめてTIFI主催の夏期講習がニューヨークではなく、カリフォルニア州で行われたのもその一つの現れと観ることもできる。)欧州はヨーロッパ・フォーカシングの会を発足させた。フォーカシング界の中心は今やニューヨークにあらず、ヨーロッパやアジアあるいは、スペイン語圏という具合に地域・言語圏別に組織化されてきつつあるのが現状だと僕は観ている。そして、アジアにはフォーカシングと親和性が高いマインドフルネスをはじめとする豊かな東洋文化がある。だから、僕はアジアが熱いと思う。今回の第1回アジア・フォーカシング国際会議にはTIFI会長のDavid Rome 氏が参加することも興味深い。彼は長年アメリカ合衆国でチベット仏教の高僧のマネジャーを務め、関係財団の理事などをしていた。彼の中ではチベット仏教という「アジア」と「フォーカシング」が交差して彼独自のフォーカシングになっている。アジアの豊かな伝統とフォーカシングの交差はもう始まっている! きっと、これを契機に、何か豊かなものが生まれてくる。僕は、この頃、そこに面白さを感じてならない。

僕はこんな個人的であり、公でもあるストーリーを描いてみた。そうすることによって、僕は僕なりにアジア・フォーカシング国際会議の意味を新しく見出した。「アジア」と「フォーカシング」を交差させる、どうやら、僕はその面白さにウキウキしているようだ。

(池見 陽)

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